美唄炭鉱
2013/10/18 Fri. 22:07 | 美唄 |

三菱美唄炭鉱(1915~1973)
1913年、独立系の飯田炭鉱として開発が進められたが、1915年に三菱が買収して三菱美唄炭鉱となる。その後、三菱鉱業美唄鉄道線を開通させ生産量を伸ばし、大夕張と並ぶ三菱の主力鉱山として名を馳せた。最盛期の1944年には年間180万トンもの生産量を誇った。1973年に閉山。
かつて都市としての規模を誇った常盤台地区は、閉山と共に多くの住民が去った。現在は公園として整備されているが、ほぼ無人地帯となっている。(wikiより抜粋)

我路より更に山方面に車を進めると対岸へ渡る廃橋同然の現役橋が辛うじて
残存している。
そのまま道路沿いに進むと炭鉱メモリアル公園に到着します。

三菱美唄炭鉱立坑巻揚櫓(1923~現存)
炭鉱メモリアル森林公園内に残るリベット打ちの立坑櫓。道内で二番目に古い建築です。入気、排気二つの櫓がそびえ、現在は赤く塗装されていますが、これは竪坑建設当時の色といわれています。1923(大正12)年建設、1972(昭和46)年閉山。1944(昭和19)年には189万tの出炭を記録しました。(そらち 産業遺産と観光より)
広大な土地に聳え立つ立坑は必見じゃないでしょうか。
数年前訪れたときにはありませんでしたが、説明看板がしっかり立っていました。

保存とはいっても形あるもの必ず朽ち果てていきます。
上方から落下したであろう色んなパーツが撤去されずに脇へ集められている。
無人でしたので立坑直下へ
足元には深い穴があったのか・・・。

三菱美唄炭鉱原炭ポケット
炭鉱メモリアル森林公園内に残る炭鉱施設。
掘り出した石炭を一時保管するためのもので、
現存するものの中では道内最大といわれています。
コンクリートの格子模様が特徴的です。(そらち産業遺産と観光より)
公園に入って最初に目に付きます。
夏なので緑に隠れていますが巨大なポケットというのはわかります。
文句なしの存在感。恐怖を感じる

三菱美唄炭鉱開閉所
立坑の運転・管理を行った建物。
念の為、ドアに手をかけましたが開きません。

調べていたので分かっていたが
どうやらこの藪の向こうに行く必要があるそうです。
結構な夕方に広い公園で原炭ポケットに睨まれながら
独り佇んでいると 鹿が出てきました。
出てくるまで気づかなかったのか
僕を見ると慌てて原炭ポケットの斜面を駆け上がっていきました。

少し歩くと開けた場所にでます。
山肌にやはり2連の坑口はありました。
坑口に気を取られていると穴に足をとられます

三菱美唄通洞抗口
目の前は鉱水がたまっている。扁額ははずされています。

一旦道道に戻り更に進むと廃現役橋が
進みたかったが一人では危険なので撤退しました。

帰り道
対岸の方には
三井美唄炭鉱第2坑原炭ポケット
漏斗の形は三井型と呼ばれているらしいです。
夕日を見ながら札幌に帰りました

スポンサーサイト
| h o m e |
skarocksteady(02/17)
skarocksteady(02/17)
hokkai(02/16)
skarocksteady(11/08)
似鳥 高司(11/05)
skarocksteady(10/23)
マーク(10/22)