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Skarocksteady Soundsystem

音楽と写真と暮らす毎日

北炭幌内炭砿布引坑 巻揚室 

布引 001
布引アートプロジェクト2009年
炭鉱の記憶推進事業団により開催されたが
危険な箇所が多かった為かそれ以来開催されていない・・・。







布引 015
植物のアーチによる入口より内部へ
奥には過去に行われたアートプロジェクトのステンドグラスが
そのまま放置されている。





布引 017
入口の扉は横の壁に立てかけられている。
画像ではわからないがこの扉かなり大きいです。
2mはあるんじゃないでしょうか




布引 004
使われなくなった窓の連続に強烈な寂しさを感じる。
気がつけばメモリの中はこういう写真ばかりになっている。





布引 018
投石による穴だろうか。
この光の量、絶妙だ
黒白にこだわるのは光と影を表現
したい為だ。


布引 005
白いコンクリートに黒い染
やはり錦の巻き揚げと似たような形状をしている。




布引 016
天井は高く細長い窓が異国の建物に見えてくる。
実際の色のある世界はステンドグラスがランダムに配色されているが
それはそれで悪くはない。




布引 019
目を奪われる僕がいた。
外部と繋がっていた機構はなにも残っていないが、
その穴からは一縷の光が差し込んでいた




布引 020
その光の先には朽ち果てた鉄が。
これもアートなんだろうか?



布引 007
外へでてみると立坑の密閉跡がありました。
管が空へ向かって伸びています。



布引 014
ここから先はハードになっていきます。
真っすぐ歩くことは基本的に困難で基礎の穴やらトタンが散乱していて
気が抜けません。


布引 006
基礎が残っています。
うっかり足を踏み外すと基礎の湯船に浸かることになります。
探索をしているとこの南国風の植物にかなりの確率で出会います。



布引
本物の浴槽も打ち捨てられています。
水風呂でしょうか?




じゃあさっきから視界に入っている気になる遺構に近づいてみます。

北炭幌内炭砿布引坑 

布引 021
北炭幌内炭砿布引坑
現在立坑櫓は解体され、巻揚げ室のみが残っています。
平成元年閉山頃まで、幌内炭鉱の主要坑として稼働していました。
見学時には熊の出没に注意が必要です
(そらち産業遺産と観光より)


前回の探索で本沢地区、新幌内に行ってきましたが、
今回はその中間に位置する奔幌内地区は布引に行ってみたいと思う。

布引 022
本沢地区より奔幌内川に沿って林道を走ると幌内橋にでる。
上記にも書きましたが数か所の木には引っかき傷が付いていますので注意です。
念のためクマ避けのベルを装着しホイッスルを吹く

布引 023
その道を行けばすぐに布引坑はある。
危険により立入禁止。道も数日降り続いた雨できわどい個所もある。
遠くの方からは鉄道村のSLの汽笛がホーホー鳴っている。
家族連れの楽しいひと時が目に浮かぶようだ。

布引 002
鉄道村から木の海を挟んだジャングルの奥地にはこうして過去のものが残存している。
遠くの汽笛と相俟って時代の隔たりを嫌でも感じさせられた。
密閉箇所は多数ありいたる所から管が伸びている。
北炭の看板も25年経つのか。

布引 008
まず最初に目にする遺構はこの小さい建物。
危険物庫か?さすがは煉瓦しっかりしている。
扉は鉄製でやはりその用途と思われるが

布引 003
もう少し足を進めると長い年月により上部は骨組みだけになった建物がありました
屋根は早い段階で無くなってしまったのでしょう。
内部は植物が生い茂っている。

布引 011
木製の窓枠も時間の問題だろう。
この日は雨で黒い雲が多くどんよりしていて僕の趣向にあった写真が撮れる。



布引 012
この建物には多数の消火器が散乱している。
年代物なので腐食している可能性も。
中のガスは大丈夫なのだろうか?





布引 013
よく見てみると北炭と書いてあるラベルが貼ってある。
意外と北炭の残留物はお目にかかることが少ないように感じるが。




布引 010
撮った写真を見返してみるとこの煉瓦は焦げたような跡があった




布引 009
消火器の部屋から出ると目の前には巻き揚げ室がある。
遺跡化している。蔦がものすごく煉瓦を這っている。
一年の内、その全貌を現す時期はごく短い間だけなのじゃないだろうか

じゃあ内部に入ってみます。




※帰り道
布引坑を出たすぐに警察が張っていました。恐らくはサボってたんでしょうが
町中がパトカーだらけでした。
行く方は
立ち入り禁止地帯ということを忘れずに
素敵な過去との邂逅を。

北炭幌内炭鉱 

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幌内新炭鉱立坑(唐松)

管理地となっている新炭鉱の立坑を指をくわえて眺めてつつ
昨日同様に幌内炭鉱(景観公園)へと向かった。


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安全灯庫(大正~昭和初期に建造)
当時の坑内の照明はブリキのカンテラに石油などを使用していたが坑道の延長により通気が不完全になり
ガスの発生で爆発の危険性も増加したため明治26年頃から安全灯が使われ裸火の照明が禁止された。
(説明看板より)


屋根は閉山後10年で崩落したが、外周はさすがのレンガきっちり残っている。
煉瓦は北炭が野幌で煉瓦製造所をつくりそこから各地の炭鉱施設に送られ使用されていたらしい

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すぐ脇には鉱水の混じった沢がありたどっていくと密閉された坑口にたどり着きます
臭いはどうだったか覚えていないが水はヌルヌルしていた

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音羽坑坑口(1879~)
音羽坑は明治12年に掘削された北海道最古の炭坑。
大坑道延長700m 幌内鉄道の 幌内駅とレールが繋がっており石炭が搬出された。
一般坑夫の8割を囚人で使役された。(案内看板より)


坑口の奥は700mの坑道は続いている。
前の沢はなんとも言えない青だ。


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高低差のある地面に下に下りる階段があっておりていくと
そこはベルトコンベヤ原動室がある。
暗くてまともな写真が撮れなかったが奥のほうに電話が残っていた。
ものすごい廃の見た目だ。
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バケツとトロッコの残骸が転がっていた。
ここまでくるとアブからよくわからないしつこい虫に交代
箱の形状をとどめていた気がしたが
足元に散らばっている木が多分そうだな・・。

057.jpg
もはやなんだか判らない。
姿を消すことができない鋼材は苔と共存する道を選んだ。

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常磐坑本卸坑(1938年開坑~平成元年)
運搬系統の合理化のためベルト斜坑に改修。養老坑・布引坑をベルトでつなぎ
坑外の選炭場まで石炭を搬出した。 新幌内炭坑とも坑道が連結し出炭は常磐坑に集約された。
(案内看板より)

043.jpg
常磐坑副卸坑
扁額は落ちていない。本卸の扁額は密閉にそっと立て掛けられている。
ガス抜きの処理がされている。
足元は湿地然とした植物が生い茂っているが乾いている。
二つの坑口の間には神社があります

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巨大なホッパー
大炭坑だったというのがわかる。興奮を禁じえない

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強烈なインパクトをもって初幌内炭坑を満喫できた。
独特の雰囲気をもった場所だ
側面の穴に恐怖を感じませんか

060.jpg
写真を撮ろうと止まると瞬時にして虫がたかってくる。
しかし公園といえど高低差でいきなり遺構の屋上にでたかとおもえば足元には穴空いてるし
散策用の階段は階段は朽ち果ててるし危険な箇所もあります
ここをフリーにしてくれている三笠にはほんと頭が下がります

064.jpg
ホッパー内部
積み込みの機構には木が詰められています。
だいぶ日が暮れてきたが全部見て回るには時間がかかりそうだ
ここにきて動物の気配が藪の中に感じられます


067.jpg
水路を覆っていたアーチ状の遺構
長く続いている不思議な遺構だ

069.jpg
シックナーはあちらこちら痛みが激しいです
外周の塀によじ登り撮影

全然時間が足りませんでした・・・。
この記事を書いている来週
再訪を予定してます