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音楽と写真と暮らす毎日

北炭夕張平和炭鉱 坑口 

平和炭礦 009
平和炭鉱
1920年に石狩石炭から鉱区を引継ぎ、若菜辺砿として操業を続けたが、1930年に休止、その後の石炭増産に対応し、1937年に再開発に着手した。優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出し、最盛期の1960年代には隣接する夕張鉱業所とともに夕張炭田の中核的な炭鉱として操業を続けたが、採炭条件の悪化などから夕張市清水沢・沼ノ沢の東部地区に開発された夕張新炭鉱に生産を移行し1975年に閉山した。(wikiより抜粋


夕張平和地区にはかつて炭鉱施設が点在していたが一部は自然に帰し
一部は平和運動公園として利用されている。
この記事は2013年晩秋の記憶であり、かなりの遅筆ぶりが伺える。
初回訪問は土日のどちらかだったと記憶し、競技を観覧する父兄たちに紛れて
奥に見えているズリ山に向かって歩いていった。










平和炭礦 010
植物の下は水没しており、早速水没する。
この植物はタチが悪く葉の部分に多量の水分を含んでいて
すぐに胸までびしょ濡れになった。
広大な敷地を見渡せばすぐに坑口が確認できるだろう。









平和炭礦 011
平和炭鉱 人道竪入
下部は少し埋もれてしまっているが、綺麗に残存している。
閉山は自分が生まれる数年前だがこれ程まで残っていると
感嘆につきる。








平和炭礦 012
一区水平坑口
すぐ右側に並んでいる坑口はほとんど埋もれてしまっている。
人道竪入と同じような装飾は見られない
この時期は仕事に遠征にとハードな毎日を過ごしていたが
この秋の日は忘れない。










平和炭礦 013
鹿に従い少し上に登ってみる。

水没し泥と緑、ズリ、鹿糞そして乾燥し帰路につくころは
車中独特な臭気が鼻をつく。
ひどく疲れ、一日の事を思い出し、いつしか眠りに入っていく
そんな休日と日常が繰り返されてゆく







平和炭礦 014
碍子がついたままの電柱が倒れている
やがて木材は自然に帰りいつかは碍子だけになるだろう。
以前立てかけられていた畳の下半分が
自然に吸収されていくのをとある廃墟で見たが
やがてはそうなるだろう。











平和炭礦 015
一区人道斜坑
周りには全く何の気配もしないが
この時は何故か振り返った記憶がある
そして広大な敷地には誰も
いなかった。


平和炭礦 017
平和炭礦 人道斜坑とある
苔と汚れでだんだん見えづらくなってきているが
しっかりと残っている。
この一年で北炭のマークを何回見ただろうか








平和炭礦 018
一区材料巻坑口
少し上ってみると坑口だらけに。
ヤマがあったということだが
その大半は自然に埋もれようとしている。
その痕跡を同志達が訪問して探し、帰っていく
本日は何人訪れたのだろうか?
破壊や落書きは無いが炭鉱跡には缶コーヒーの
空き缶がつきもののようだ。







平和炭礦 016
足元にはバルブが。
興奮して写真を撮っているとよく躓く。







平和炭礦 027
一区ベルト斜坑
周りは水没しており状態は悪い。
水が汚れていて水の流れも無く
この坑口には近づいていない。









平和炭礦 020
一区水平ベルト坑口
対面して未選壜に向かう水平ベルト坑口
が黒い闇とともに見えている。





平和炭礦 021
坑口の上部にはウィンチが設置してありそしてそのまま放置された。
斜坑から出炭された石炭はここを通って山の反対側に向かった。
薄暗い山の中に放置されているその佇まいは
少しだけ怖く寂しかった。








平和炭礦 023
水平坑口内部
コンクリートの周りは木だったようだが既に朽ちた。
3回訪問した中、運動公園で何らかの競技が開催されていた日があったが
その歓声が聞こえている中
僕はこの暗い穴の中に居た。
時代遅れの男を見る客観的な自分がいた






平和炭礦 028
密閉のコンクリートは砕け落ちてブロックが見えている
平和炭鉱のハイライト
未撰壜側に向かってみる


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夕張南部青葉町 

南部青葉町 013
通行止めの先にはシューパロダム管理棟があります
万年通行止めであったが管理棟が稼動した現在、通行可となった
基本的にダムに観光に行かれる方はこの青葉町を通って行くことになるが
長年放棄された道道と青葉町の現在とは。













南部青葉町 012
三笠弥生の倒壊してしまった生協を思わせるが
瓦礫の山となっている。
不謹慎ながらも廃美を感じてしまう
この乾燥した秋の日に調和した独特の世界が広がっている











南部青葉町 011
現在は炭鉱に寄ってはいるが、
もともとは夕張中心に廃を撮ってきた過去がある。
廃 時代にも仲間がいて久しぶりに廃墟を撮っていると
そうした日々が思い出される。
そして必然的に色温度が下がる。






南部青葉町 010
木造家屋は雪の重みで歪みそしてシャッターを歪ませた
この質感は町全体に言えることで、どこか町全体が歪んでいるように
感じる。
この日もシューパロダムに家族連れなどが来ていたが
この歪んだ町を見たはずだ









南部青葉町 009
寶龍はここに存在していた。
廃業からかなりの年月が経っていると思われるが
2014年現在
ダムに向かう人たちにその成れの果てをさらしている











南部青葉町 008
焼肉店 看板の価格は現在でも通じる価格
どことなくスナックを思わせる外観だが右に傾いてきている。
すべての意味においてもう支えは何も無い。
だらしないガードレールの向こうの区画だけが残っている
もと町だったところは自然に帰した。









南部青葉町 001
1軒だけ頑丈な造りをした建物がある。
心霊系、破壊系の方たちに人気があったようだが
しばらくは誰も訪れてはいないようだ










南部青葉町 002
夕張保険金殺人事件
1984年(昭和59年)に北海道夕張市で発生した、火災保険および生命保険金の詐取を目的とした放火殺人事件である。この事件の首謀者は暴力団の組長夫婦であり、実行犯に放火を依頼して犯行に及んだが、首謀者として死刑が確定、戦後初めて夫婦2人ともに対して死刑が執行された。(wikiより抜粋







南部青葉町 003
この所業を季節と時間が隠した。
枯れ木を踏むたびに音が鳴って目立つ
この時、割と近くに住民がいたが作業に没頭している
この日は住民1人しか見ていない
夕張市の中でも3番目に住民が少ない地域となってしまった










南部青葉町 004
日高商事内部
時代を考えるとよい暮らしをしていた事を
扉が教えてくれている。 
豪遊の限りを尽くした夫婦
恩赦を狙っての最後の
賭けは凶とでたが。








南部青葉町 007
スプレーペイントによるお決まりの光景
自然による破壊と人為的な破壊
残された物に時間だけが流れていく











南部青葉町 006
夕張 南部青葉町
2014年8月現在
住民19人