北炭夕張平和炭鉱 坑口
2014/10/28 Tue. 00:49 | 夕張 |

平和炭鉱
1920年に石狩石炭から鉱区を引継ぎ、若菜辺砿として操業を続けたが、1930年に休止、その後の石炭増産に対応し、1937年に再開発に着手した。優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出し、最盛期の1960年代には隣接する夕張鉱業所とともに夕張炭田の中核的な炭鉱として操業を続けたが、採炭条件の悪化などから夕張市清水沢・沼ノ沢の東部地区に開発された夕張新炭鉱に生産を移行し1975年に閉山した。(wikiより抜粋)
夕張平和地区にはかつて炭鉱施設が点在していたが一部は自然に帰し
一部は平和運動公園として利用されている。
この記事は2013年晩秋の記憶であり、かなりの遅筆ぶりが伺える。
初回訪問は土日のどちらかだったと記憶し、競技を観覧する父兄たちに紛れて
奥に見えているズリ山に向かって歩いていった。

植物の下は水没しており、早速水没する。
この植物はタチが悪く葉の部分に多量の水分を含んでいて
すぐに胸までびしょ濡れになった。
広大な敷地を見渡せばすぐに坑口が確認できるだろう。

平和炭鉱 人道竪入
下部は少し埋もれてしまっているが、綺麗に残存している。
閉山は自分が生まれる数年前だがこれ程まで残っていると
感嘆につきる。

一区水平坑口
すぐ右側に並んでいる坑口はほとんど埋もれてしまっている。
人道竪入と同じような装飾は見られない
この時期は仕事に遠征にとハードな毎日を過ごしていたが
この秋の日は忘れない。

鹿に従い少し上に登ってみる。
水没し泥と緑、ズリ、鹿糞そして乾燥し帰路につくころは
車中独特な臭気が鼻をつく。
ひどく疲れ、一日の事を思い出し、いつしか眠りに入っていく
そんな休日と日常が繰り返されてゆく

碍子がついたままの電柱が倒れている
やがて木材は自然に帰りいつかは碍子だけになるだろう。
以前立てかけられていた畳の下半分が
自然に吸収されていくのをとある廃墟で見たが
やがてはそうなるだろう。

一区人道斜坑
周りには全く何の気配もしないが
この時は何故か振り返った記憶がある
そして広大な敷地には誰も
いなかった。

平和炭礦 人道斜坑とある
苔と汚れでだんだん見えづらくなってきているが
しっかりと残っている。
この一年で北炭のマークを何回見ただろうか

一区材料巻坑口
少し上ってみると坑口だらけに。
ヤマがあったということだが
その大半は自然に埋もれようとしている。
その痕跡を同志達が訪問して探し、帰っていく
本日は何人訪れたのだろうか?
破壊や落書きは無いが炭鉱跡には缶コーヒーの
空き缶がつきもののようだ。

足元にはバルブが。
興奮して写真を撮っているとよく躓く。

一区ベルト斜坑
周りは水没しており状態は悪い。
水が汚れていて水の流れも無く
この坑口には近づいていない。

一区水平ベルト坑口
対面して未選壜に向かう水平ベルト坑口
が黒い闇とともに見えている。

坑口の上部にはウィンチが設置してありそしてそのまま放置された。
斜坑から出炭された石炭はここを通って山の反対側に向かった。
薄暗い山の中に放置されているその佇まいは
少しだけ怖く寂しかった。

水平坑口内部
コンクリートの周りは木だったようだが既に朽ちた。
3回訪問した中、運動公園で何らかの競技が開催されていた日があったが
その歓声が聞こえている中
僕はこの暗い穴の中に居た。
時代遅れの男を見る客観的な自分がいた

密閉のコンクリートは砕け落ちてブロックが見えている
平和炭鉱のハイライト
未撰壜側に向かってみる
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夕張南部青葉町
2014/10/02 Thu. 18:12 | 廃墟 |

通行止めの先にはシューパロダム管理棟があります
万年通行止めであったが管理棟が稼動した現在、通行可となった
基本的にダムに観光に行かれる方はこの青葉町を通って行くことになるが
長年放棄された道道と青葉町の現在とは。

三笠弥生の倒壊してしまった生協を思わせるが
瓦礫の山となっている。
不謹慎ながらも廃美を感じてしまう
この乾燥した秋の日に調和した独特の世界が広がっている

現在は炭鉱に寄ってはいるが、
もともとは夕張中心に廃を撮ってきた過去がある。
廃 時代にも仲間がいて久しぶりに廃墟を撮っていると
そうした日々が思い出される。
そして必然的に色温度が下がる。

木造家屋は雪の重みで歪みそしてシャッターを歪ませた
この質感は町全体に言えることで、どこか町全体が歪んでいるように
感じる。
この日もシューパロダムに家族連れなどが来ていたが
この歪んだ町を見たはずだ

寶龍はここに存在していた。
廃業からかなりの年月が経っていると思われるが
2014年現在
ダムに向かう人たちにその成れの果てをさらしている

焼肉店 看板の価格は現在でも通じる価格
どことなくスナックを思わせる外観だが右に傾いてきている。
すべての意味においてもう支えは何も無い。
だらしないガードレールの向こうの区画だけが残っている
もと町だったところは自然に帰した。

1軒だけ頑丈な造りをした建物がある。
心霊系、破壊系の方たちに人気があったようだが
しばらくは誰も訪れてはいないようだ

夕張保険金殺人事件
1984年(昭和59年)に北海道夕張市で発生した、火災保険および生命保険金の詐取を目的とした放火殺人事件である。この事件の首謀者は暴力団の組長夫婦であり、実行犯に放火を依頼して犯行に及んだが、首謀者として死刑が確定、戦後初めて夫婦2人ともに対して死刑が執行された。(wikiより抜粋)

この所業を季節と時間が隠した。
枯れ木を踏むたびに音が鳴って目立つ
この時、割と近くに住民がいたが作業に没頭している
この日は住民1人しか見ていない
夕張市の中でも3番目に住民が少ない地域となってしまった

日高商事内部
時代を考えるとよい暮らしをしていた事を
扉が教えてくれている。
豪遊の限りを尽くした夫婦
恩赦を狙っての最後の
賭けは凶とでたが。

スプレーペイントによるお決まりの光景
自然による破壊と人為的な破壊
残された物に時間だけが流れていく

夕張 南部青葉町
2014年8月現在
住民19人
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