北炭幌内炭鉱
2013/10/02 Wed. 19:11 | 幌内 |

幌内新炭鉱立坑(唐松)
管理地となっている新炭鉱の立坑を指をくわえて眺めてつつ
昨日同様に幌内炭鉱(景観公園)へと向かった。

安全灯庫(大正~昭和初期に建造)
当時の坑内の照明はブリキのカンテラに石油などを使用していたが坑道の延長により通気が不完全になり
ガスの発生で爆発の危険性も増加したため明治26年頃から安全灯が使われ裸火の照明が禁止された。
(説明看板より)
屋根は閉山後10年で崩落したが、外周はさすがのレンガきっちり残っている。
煉瓦は北炭が野幌で煉瓦製造所をつくりそこから各地の炭鉱施設に送られ使用されていたらしい

すぐ脇には鉱水の混じった沢がありたどっていくと密閉された坑口にたどり着きます
臭いはどうだったか覚えていないが水はヌルヌルしていた

音羽坑坑口(1879~)
音羽坑は明治12年に掘削された北海道最古の炭坑。
大坑道延長700m 幌内鉄道の 幌内駅とレールが繋がっており石炭が搬出された。
一般坑夫の8割を囚人で使役された。(案内看板より)
坑口の奥は700mの坑道は続いている。
前の沢はなんとも言えない青だ。

高低差のある地面に下に下りる階段があっておりていくと
そこはベルトコンベヤ原動室がある。
暗くてまともな写真が撮れなかったが奥のほうに電話が残っていた。
ものすごい廃の見た目だ。

バケツとトロッコの残骸が転がっていた。
ここまでくるとアブからよくわからないしつこい虫に交代
箱の形状をとどめていた気がしたが
足元に散らばっている木が多分そうだな・・。

もはやなんだか判らない。
姿を消すことができない鋼材は苔と共存する道を選んだ。

常磐坑本卸坑(1938年開坑~平成元年)
運搬系統の合理化のためベルト斜坑に改修。養老坑・布引坑をベルトでつなぎ
坑外の選炭場まで石炭を搬出した。 新幌内炭坑とも坑道が連結し出炭は常磐坑に集約された。
(案内看板より)

常磐坑副卸坑
扁額は落ちていない。本卸の扁額は密閉にそっと立て掛けられている。
ガス抜きの処理がされている。
足元は湿地然とした植物が生い茂っているが乾いている。
二つの坑口の間には神社があります

巨大なホッパー
大炭坑だったというのがわかる。興奮を禁じえない

強烈なインパクトをもって初幌内炭坑を満喫できた。
独特の雰囲気をもった場所だ
側面の穴に恐怖を感じませんか

写真を撮ろうと止まると瞬時にして虫がたかってくる。
しかし公園といえど高低差でいきなり遺構の屋上にでたかとおもえば足元には穴空いてるし
散策用の階段は階段は朽ち果ててるし危険な箇所もあります
ここをフリーにしてくれている三笠にはほんと頭が下がります

ホッパー内部
積み込みの機構には木が詰められています。
だいぶ日が暮れてきたが全部見て回るには時間がかかりそうだ
ここにきて動物の気配が藪の中に感じられます

水路を覆っていたアーチ状の遺構
長く続いている不思議な遺構だ

シックナーはあちらこちら痛みが激しいです
外周の塀によじ登り撮影
全然時間が足りませんでした・・・。
この記事を書いている来週
再訪を予定してます
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