我路の町
2013/10/18 Fri. 20:32 | 廃墟 |

ここは炭鉱があった町。
S48.11.22 北菱我路炭鉱 閉山
現在その名残を見せてくれるものは数少なく廃墟と現役が入り混じった町という印象だ。

1本裏道に入ればこのとおり町が無かった頃に還ろうとしている。
1時間弱我路の風景を写真に収めつつ満喫したが
誰にも会わなかった。
世間がここをゴーストタウンという所以が
こんな光景に感じているのかもしれない

沢の方へ降りていくと
地元の名士で議員をやられていた方の生家があります。
ここだけは若干手入れがされているようです。
その横の道には沢がありますので降りてみます

けっこうな速さの流れで圧倒されます。
しばしの間見とれていました。

裏通りに戻ると石造りの蔵がありました。
見てのとおり空襲にあったかの様に上部が吹き飛んでいます。
北海道の雪の重みには勝てなかったようです。

裏通りの端まで行くと有名な
焼き鳥ガロ があります。残念ながら店は開いてませんでした
5年位前にここの方と話した記憶があります。

以前は看板がついていた形跡があります
夏の終わりに訪問しましたが窓の冬囲いがついたままです。
全てにおいて光が当たることはもう無くなりました。

我路の方達の娯楽だった映写機があった部屋が残っていますが
夏の終わりにそれを見ることはできません。
一時代の残骸を植物が必死で隠そうとしてる様にも映ります。

山側へ渡ると羆出没の看板が。
自然に還りつつあるがまだもう少し待っていて欲しい。
いつかはそうなってしまうだろうがまだヒトがいる限り
くだらない傷を負ってしまう。

自然との最後の境界線
煉瓦作りの美しい塀で囲まれた区画があります

その中には廃の雰囲気をまとった
明らかに住宅ではない建物がありました。

表側に移動してみるとシャッターが6枚くらい並んだ倉庫みたいな造りになっています。
危険物取り扱い・・・・的な事も書かれていましたが
結局わかりませんでした。

それらの建物と連結して建っているのが
旧美唄炭山郵便局です
現在は我路簡易郵便局兼我路生活館となっていました。
煉瓦には蔦が似合います。
ずかずかと敷地内に入って写真を撮っている僕に気づいたはずですが
咎められる事はありませんでした。

一通り廻って車に戻ろうとしたところ
窓ガラスが割れている家がありました。
2階の窓にはレースのカーテンが見えます。
どんな結果になるのかは気持ちの中ではわかっていたはずですが、割れた窓を
僕は覗いてしまいました・・・・。

残酷なまでの寂しい光景が待っていました。
おそらくは身よりも無く亡くなってしまったのだと思います。
信心深い主は神棚に毎日ご飯と水を絶やすことはなかったのでしょう。
神棚の横の棚には夫婦と思われる写真が飾られています。
履かれる事は無いまま最後の
靴下が干してありました。

時計ももちろん止まっています。
カレンダーもあの年で終わりました。
誰も居なくなって何回の夏が過ぎたのでしょう
またやってしまったという
気持ちは拭えることなく
我路を去りました。
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