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北炭夕張新炭鉱 

夕張新炭鉱 004
北炭夕張新炭鉱
昭和40年代、日本の石炭産業は整理・淘汰の時代に入り、筑豊、北海道をはじめとした地域で次々と生産効率の悪い中小炭鉱が閉鎖に追い込まれた。その一方で国・業界は最新設備を導入した大規模炭鉱の開発を進めた。「スクラップアンドビルド」の言葉からこれらの炭鉱は「ビルド鉱」と呼ばれる。そのビルド鉱の一つが北炭で1975年に出炭を始めた夕張新炭鉱であった。当時最新鋭の設備を誇り、また質の良い原料炭が採れたため、衰退が進んでいた夕張市の復興の鍵として、地域の期待を集めていた。

しかしその一方で、国の政策の中で徹底した効率化を迫られていた(当時北炭は国の政策下で公的援助を受けていたので国の意向に沿うことが会社の命題であった)ため、安全を無視しての無理な出炭が日常化していた。保安設備が整っていることも売りの一つであったものの出炭開始から間もない1975年7月7日に早くも5人の死者を出すガス突出事故が発生した。しかしその後も無理な出炭は続けられた。
(wikiより)

北炭の歴史の中でも新しい方に入るこの新炭鉱は夕張の未来を明るくするはずだった。
国からのプレッシャーにより採算と生産とのバランスが崩れその結果安全が犠牲になった。
その炭鉱があった地、に足を向けた。
ネットで書かれる外部の人間に対する排他の空気
事前の下調べ時における古来の住民との話において
一筋縄ではいかないのはわかっていた。



夕張新炭鉱 001
清凌の街でシャッターをガンガン切る・・・というのも若干憚れる空気を察した
僕はこの町をほとんど写真に収めていない。
この集合住居は当時のものだろうか。
夕張においても最後の都となったこの町は比較的人が多い。
その中にはカメラ、三脚をもった僕に何とも言えない眼差しを向けてくる人物がいたのは
確かな事実だ。





夕張新炭鉱 003
夕張新炭鉱慰霊碑
慰霊碑が建っているということは多くの方々が亡くなったという
ことである。

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
1981年10月16日午前0時、海面下810メートル、坑口より約3,000メートルの北部区域北第五盤下坑道のメタンガスセンサーに異常値が出ていることを地上の制御室が確認。ガスの突出事故の発生を確認し、直ちに会社側が組織した救護隊が救出作業を開始した。77人は自力で脱出することができたが、救護隊により34名は遺体で収容、ほか10名を坑内で死亡確認している。しかし、同日午後10時30分頃にガス爆発による坑内火災が発生、救護隊の10名も巻き込まれる二次災害となった。作業服の持つ静電気が原因で充満したガスに引火したと推測されている。

爆発後は坑内に大量の黒煙と熱が充満し、火災も収まる兆しが見えなかったことから密閉作業が行われた。密閉作業は坑口を塞ぐもので、坑内の避難器具(通称ビニールハウス)への空気供給を止めるものではなかったが、それでも火災が収まらなかったことから、会社側は注水による鎮火の検討に入った。 この時点で坑内には59名の安否不明者が取り残されており、注水は坑内にいるこれらの不明者を見殺しにする措置の為、安否不明者の家族の猛反発を受けた。中には林千明社長(当時)に「お前が入れ」と迫る人もいた。

注水の是非を巡る議論が白熱する中、生存者の有無を確認する為に捜索隊が坑内に入る。だが、爆発の衝撃で坑道の至る所で落盤が発生しており、救出活動を続行する事は危険と判断された(捜索中、立ったまま死亡していた労働者の遺体も確認された)。

林千明社長は「お命を頂戴したい」と家族達に注水への同意を求め(林千明社長はその後自殺未遂事件を起こしている)、結局、10月22日に全員の家族の同意書を取り付け、翌10月23日、サイレンと共に59名の安否不明者がいる坑内に夕張川の水が注水された。 約4か月の注水作業、その後の排水作業により遺体の収容作業が再開されたものの、遺体収容・確認作業は難航を極め、最後に残っていた遺体が収容されたのは事故から163日後の1982年3月28日のことであった。

最終的な死者は93人で、炭鉱事故としては、1963年の三井三池三川炭鉱炭じん爆発(福岡県大牟田市)の458人、1965年の三井山野炭鉱(福岡県嘉穂郡稲築町(現在の嘉麻市))ガス爆発事故の237人に次ぐ、戦後3番目の大惨事である。(wikiより)




夕張新炭鉱 002
入口には看板がそのまま残されている。

我が新鉱をがっちり守ろう。 保安と生産で

会社も坑夫もその家族も夕張もわかっていたはずだ
夕張の復興の鍵を握る炭鉱だということ
そんなさなかの事故だった。
運営していた北炭夕張炭鉱は倒産
1年後に閉山という志半ばにして夢破れた。
悲しい歴史が詰まっている。




夕張新炭鉱 005
慰霊碑にお参りをし
僕は通洞坑口へ向かった。
山の木々に隠されるようにして坑口はあった。
坑口に近づく僕を遠くからおじいさんが見ていたが
咎められることはなかった。
しかし心霊目的でここにやってくる人間がいるだろうことも
想像に難しくない。
清凌の人間にとってここは大事な場所なのである。




夕張新炭鉱 006
独特な見た目をしているのは鉄格子によるものだ。
これは遺族の意向で「空気が通るように」
という所以である。
言葉は悪いが神秘的な感じがしたのを覚えている。
鉄格子の奥は霧だったからだ。





夕張新炭鉱 007
鉄格子は濡れており水分をおおく含んだ空気がよどんでいる。
隙間からレンズを向けて写真を撮っていたが
今、振り返ったら
多分住民がこっちを見ているだろう。
そんな見張られているような居心地の悪い気分で
終始した。





夕張新炭鉱 008
帰り際
鉄格子にかたつむりを見つけた。
よく見たら沢山いた。
安住の地を荒らさないように
そそくさとここを離れた。




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